| 年 
 | 日本の歴史 | 朝鮮の歴史 | 中国の歴史 | ロシア (沿海地方・ハバロフスク地方・サハリン州)の歴史
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											| 紀元前 
 | 日本と朝鮮半島は陸続き:共通文化 農耕の開始
 (櫛目文土器文化と縄文土器文化の例など)
 
 弥生時代:水稲農耕と金属文化が朝鮮から北九州へ伝来
 古墳時代:渡来人による朝鮮半島系土器や須恵器の伝播
 
 かまどの導入(中国から朝鮮半島経由での伝播)→米を蒸して食べるようになる
 
 | 日本と朝鮮半島は陸続き:共通文化 農耕の開始
 (櫛目文土器文化と縄文土器文化の例など)
 
 壇君伝説-建国 BC.2333
 (1960まで紀年)
 檀君が紀元前2333年に阿斯達(アサダル、現在の平壌)を都として建国したとされている
 紀元前1000頃:青銅器文化の展開
 紀元前700頃:水稲栽培が始まる
 紀元前400頃:鉄器文化の広がり
 紀元前57:古朝鮮成立
 | 紀元前4000〜3000:黄河文明 多くの都市国家が成立、土器の製作始まる
 殷→周→春秋・戦国時代
 
 紀元前500:孔子の儒家思想成立
 紀元前221:秦の始皇帝、中国を統一
 万里の長城の建設
 
 紀元前202:漢(前漢)
 仏教が伝わる
 | スキタイ人が南ロシアに定住 | 
										 
											| 1C |  | 原・三国時代 (三韓=高句麗・百済・新羅)
 53:高句麗、太祖王即位
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											| 2C |  |  |  |  | 
										 
											| 3C | 氏姓制国家 |  | 220:後漢滅ぶ。魏・呉・蜀の三国時代 280:西晋、呉を滅ぼし中国統一
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											| 4C | 大和政権 | 三国時代─高句麗・新羅・百済 中国隋・唐の侵攻
 372:高句麗に仏教伝来
 384:百済に仏教伝来(東晋の僧・摩羅難陀)
 | 小国に分裂 |  | 
										 
											| 5C | 405:百済の阿直岐・博士王仁など日本へ渡り漢学を伝える | 405:百済の阿直岐・博士王仁など日本へ渡り漢学を伝える |  |  | 
										 
											| 6C | 552:百済、日本に仏教を伝える | 527:新羅、仏教を公認 552:百済、日本に仏教を伝える
 | 隋 |  | 
										 
											| 7C | 飛鳥・白鳳文化 
 600ごろ:中国へ遣隋使
 
 630ごろ:中国へ遣唐使
 <中国から>
 仏教(仏教教典・僧侶)
 密教
 律令制度
 平城京・天平文化
 流觴曲水の宴→流し雛へと進化
 鑑真来日
 
 663:唐・新羅軍、百済救済の日本軍を白村江で破る
 
 668:新羅と日本との交流再開
 
 白村江の敗戦で亡命してきた百済高官・貴族により、「朝鮮式山城」の伝播
 | 660:新羅、唐と連合した百済を滅ぼす 
 663:唐・新羅軍、百済救済の日本軍を白村江で破る
 
 668:新羅、唐と連合して高句麗を滅ぼす
 新羅と日本との交流再開
 
 後・三国時代─新羅・後百済・高麗
 676:新羅、百済人と高句麗人の協力を得て唐軍を撃破し半島を統一
 | 600ごろ:日本から遣隋使 
 唐
 
 630ごろ:日本から遣唐使
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											| 8C | 727年から200年ぐらい:中国から渤海使 公式の使節だけでも34回派遣された
 日本も、親善使節や送使として15回も使節を派遣
 
 福浦港・福井港・敦賀港が基地港
 
 渤海→日本へ
 「長慶宣明暦」:暦の伝播
 テン、虎、ヒグマ、豹、の毛皮、人参、蜂蜜、タイマイの杯
 
 日本→渤海へ
 綾、錦、羅(絹の薄物)、絹、絹糸、真綿、白綿などの高級繊維製品、水銀、金銀、漆
 
 日朝交流つづく
 日本から新羅への遣使31回、日本へ来朝した新羅使は45回
 (唐からの文化の受け入れ口としての新羅)
 日本では朝廷がまず交易を行い、次に民間の商取引を認めるという方法をとる
 
 日本からは珍鳥珍獣などを貢進
 その他、墨、筆、毛氈、絹、布など
 | 新羅の商人は唐の沿岸部や都近くの商業の要地に「新羅坊」という居留地をつくり、その優れた航海術で朝鮮・中国・日本・琉球などと広く交易を行った 
 日本から新羅への遣使31回、日本へ来朝した新羅使は45回
 | 727から200年ぐらい:日本へ渤海使 公式の使節だけでも34回派遣した日本からも、15回使節が派遣された
 
 福浦港・福井港・敦賀港が基地港
 
 渤海→日本へ
 「長慶宣明暦」:暦の伝播
 テン、虎、ヒグマ、豹、の毛皮、人参、蜂蜜、タイマイの杯
 
 日本→渤海へ
 綾、錦、羅(絹の薄物)、絹、絹糸、真綿、白綿などの高級繊維製品、水銀、金銀、漆
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											| 9C | 新羅からの輸入品 絹織物、金銀細工、螺鈿漆器、人参など
 | 統一新羅時代(676-918):手工業や商業が活発化し唐や日本へ輸出 | 875:黄巣の乱 | 862〜 (ロシア全体)リョーリク朝(キエフ時代) ノブゴロド公国を建設
 882:オレーグがキエフ公国を建設
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											| 10C | 平安時代 | 901:弓裔、後高句麗を建国(後三国時代の始まり) 
 高麗王朝(918〜1392年)
 
 918:後高句麗の武将お王建、開城を都にして高麗(コリョ)を建てる
 
 936:新羅と後百済を滅ぼし、半島(後三国)を統一
 | 960:宋 | 988:ウラジーミル一世がギリシア正教を国教に定める | 
										 
											| 12C | 鎌倉時代 | 1171:武人たちがクーデター |  |  | 
										 
											| 13C | 1274:文永の役 元が対馬を攻撃 博多湾に上陸
 
 1281:弘安の役
 元・高麗の東路軍が壱岐・対馬を攻略
 | 朱子学 1274:元、高麗を基地として第一次日本侵略(文永の役)
 1281:元の第二次日本侵略(弘安の役)
 
 | 1271:フビライ・ハンの元朝はじまる 
 1274:文永の役
 元が対馬を攻撃 博多湾に上陸
 
 1279:南宋滅ぶ
 
 1281:弘安の役
 元・高麗の東路軍が壱岐・対馬を攻略
 | 沿海地方はチンギス・ハンによる征服範囲内(1207〜27) 
 1247:モンゴル人によるロシア支配(タタールのくびき)が始まる(〜1480年)
 
 1283〜 (ロシア全体)リョーリク朝(モスクワ時代)
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											| 14C | 南北朝 足利義満 
 日本海海域で倭寇による密貿易が活発化(14世紀前半)
 
 1341:寺院建築費用を得るために天竜寺船を中国へ派遣(幕府から許可を得た正式な貿易船の始まり)
 | (倭寇の進入、激化) 1392- 李成桂、高麗を滅ぼす
 李朝 李氏朝鮮(朱子学)
 
 朝鮮王朝(1392〜1910年)
 
 1392:李成桂(イソング)将軍、漢城(ハンソン、現在のソウル)を都に建国
 1393:国号を朝鮮とする
 | 日本海海域で倭寇による密貿易が活発化(14世紀前半) 
 1341:日本から天竜寺船
 
 1368:明 |  | 
										 
											| 15C | 1401ごろ:中国との勘合貿易 朝貢の形で日本から明へ17回にわたり84隻、多くの商人が乗り込んだ
 
 貿易港:(堺)・博多・平戸・坊津・寧波など
 日本の輸出品:銅・刀剣・硫黄・扇・屏風
 日本の輸入品:明銭・生糸・絹織物・書画・骨董品、皮製品
 
 足利義満、朝鮮に使節
 〈交隣〉関係
 
 琉球における貿易活動の発展
 那覇港・九州博多港・朝鮮半島の三浦(富山浦・乃而浦・塩浦)の国際的な貿易港・商業都市としての発展
 日本海では北海道〜十三湊〜小浜の航路発達
 若狭と陸奥の往来は活発化
 日本列島北部は独立地域として発展(安藤氏による)
 1482:朝鮮の都に「夷千島王遐叉」
 
 津軽地方から中国・朝鮮の陶磁器・中国銭の発見
 
 朝鮮半島から日本へ「灰吹法」による銀精錬技術の伝播→日本の銀の産出が飛躍的に伸びる→中国への大量輸出
 
 1492:朝鮮朝は私貿易を禁止
 日本人が反乱したが敗れ、対馬と朝鮮は断交
 | 1401:世宗大王、訓民(ハングル)を創製 
 ハングルのはじめ
 
 日本からは、足利義満が朝鮮に使節を派遣し、交隣関係を築く
 
 1492:朝鮮朝は私貿易を禁止
 日本人が反乱したが敗れ、対馬と朝鮮は断交
 
 | 1401ごろ:日本との勘合貿易 朝貢の形で日本から明へ17回にわたり84隻、多くの商人が来航した
 
 中国の輸入品:銅・刀剣・硫黄・扇・屏風
 中国の輸出品:明銭・生糸・絹織物・書画・骨董品、皮製品
 | 1462:イヴァン3世がモスクワ大公に即位 1480:イヴァン3世がモンゴル軍を破る
 
 
 15・16世紀にモスクワ公国によってほとんどのロシアの地域が統一された後、ロシアの領土拡大の歴史が始まる
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											| 16C | 豊臣秀吉 
 勘合貿易:16世紀には中国から明船が来航。
 禅僧の行き来
 宋学・医術・印刷術・陶芸が伝播
 1551年以降:倭寇再び活発に松浦・壱岐・対馬を拠点とする
 
 1510:三浦(3港)の日本人の武力騒乱
 1512:壬申条約朝鮮と日本の通交再開
 日本人の居住は認めず、港も熊川一港に限定
 1592年:壬辰倭乱
 イムジンウェラン、豊臣秀吉派遣の日本軍が朝鮮侵略・文禄の役
 1597:丁酉倭乱
 日本軍の第二次侵略・慶長の役
 李舜臣率いる水軍が日本水軍に大勝
 | 1510:三浦(3港)の日本人の武力騒乱 
 1512:壬申条約朝鮮と日本の通交再開
 
 日本人の居住は認めず、港も熊川一港に限定
 
 1592:壬辰倭乱(文禄慶長の役)
 豊臣秀吉が派遣した日本軍が朝鮮侵略。各地で義兵の抗日運動
 1597:日本軍の第二次侵略
 1599:丁酉倭乱(慶長の役)
 | 勘合貿易:明船も日本へ 禅僧の行き来
 1551以降:倭寇再び活発に
 松浦・壱岐・対馬を拠点とする
 | 極東地域は先住少数民族のダウル人やギリヤーク人などが点在する、ほぼ無人の地 
 1533:イヴァン4世が(雷帝)が即位
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											| 17C | 江戸時代 
 1607:日本と朝鮮、国交回復
 
 1607−1811:朝鮮通信使(12回の使節日本に)
 対馬→(下関)→瀬戸内海→大阪→江戸
 医学、画、民間レベルでの交流がさかんに
 
 1609:日本と朝鮮、酉条約を結ぶ
 
 1635:日本人の海外渡航と帰国を禁止(鎖国)
 しかし、朝鮮との交易は続行
 朝鮮→対馬:木綿、からむし、つむぎ、白糸、巻物、朝鮮人参、虎、豹皮、蜂蜜など
 木綿は船の帆に使われるようになり、航海術が飛躍的に発達。
 良質の綿糸は地引網や船びき網に利用され、沿海漁業も急速に発展
 
 対馬→朝鮮:銅、錫、銀や南方産の蘇木、胡椒、水牛角、明礬、煙草、唐辛子、サツマイモ、かぼちゃの種と栽培法
 日本から朝鮮の漂流民:1000人(記録されているもの)
 朝鮮から日本への漂流民:9000人(記録されているもの)
 
 1672ごろから:北前船(瀬戸内での呼び名)
 航路:酒田港→下関海峡→大阪→江戸
 積荷は鰊〆粕・コンブなどの海産物など
 
 国内沿岸海運の繁栄:西回り航路(日本海側)と東回り航路(太平洋側)
 港町では回船問屋や倉庫などが立ち並ぶ町の形成(食文化、祭り、民謡など)
 
 千島列島のアイヌの仲介貿易によって、日本からカムチャツカにもたらされた陶磁器や木綿服などを確認
 | 1607:日本と朝鮮、国交回復 
 1607−1811:朝鮮通信使(12回の使節日本に)
 
 1609:日本と朝鮮、酉条約を結ぶ
 
 医学、画、民間レベルでの交流がさかんに
 朝鮮→対馬:木綿、からむし、つむぎ、白糸、巻物、朝鮮人参、虎、豹皮、蜂蜜など
 木綿は船の帆に使われるようになり、航海術が飛躍的に発達
 良質の綿糸は地引網や船びき網に利用され、沿海漁業も急速に発展
 
 対馬→朝鮮:銅、錫、銀や南方産の蘇木、胡椒、水牛角、明礬、煙草、唐辛子、サツマイモ、かぼちゃの種と栽培法
 
 日本から朝鮮の漂流民:1000人(記録されているもの)
 朝鮮から日本への漂流民:9000人(記録されているもの)
 
 釜山に倭館─対馬藩
 1636:清の侵略
 | 1644:清の中国征服 1652〜80年代後半:ロシア人と清の衝突
 | 1605〜 動乱時代 1613〜 ロマノフ朝
 
 1652〜80年代後半:ロシア人と清の衝突
 1639:イワン・モスクビチンのロシア人の遠征隊がオホーツク海に及び、ウリャ川の河口に要塞を築いた
 1643〜1653:ワリシー・ボヤルコフ、エロフェイ・ハバロフが、アムール川流域を探検
 1689:ネルチンスク条約
 ロシアはオホーツク海に沿って北上
 
 1697〜99:ウラジーミル・アトラソフはカムチャツカを征服
 
 千島列島のアイヌの仲介貿易によって、日本からカムチャツカにもたらされた陶磁器や木綿服などを確認
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											| 18C | 1702:漂流民伝兵衛がロシアのピョートル大帝に謁見 1739:ロシアのシュパンベルグら、仙台と房州に上陸
 1783:伊勢国白子の大黒屋光太夫ら17人、ロシア、アレウト島に漂着
 1791:光太夫、ペテルスブルグでエカチェリーナ2世に謁見
 1792:ロシアからの第一回対日使節ラクスマン、光太夫らと根室に入港、通商を求めたが、幕府は拒否
 |  |  | 1702:漂流民伝兵衛がロシアのピョートル大帝に謁見 1712:サンクトペテルブルグに首都を移す
 1725:ベーリングの第一次北方探検(〜30年)
 1739:ロシアのシュパンベルグら、仙台と房州に上陸
 1762:エカチェリーナ2世が即位
 1783:伊勢国白子の大黒屋光太夫ら17人、ロシア、アレウト島に漂着
 1791:光太夫、ペテルスブルグでエカチェリーナ2世に謁見
 1793:ロシアからの第一回対日使節ラクスマン、光太夫らと根室に入港、通商を求めたが、幕府は拒否
 | 
										
											| 19C | 1805:第二回対日使節レザノフ、長崎に入港、通商を要求 1807:フトボフら、国後や択捉の日本人襲う
 1808:間宮林蔵ら樺太探検
 1811:松前藩がロシア艦長ゴロブニンを国後島で逮捕
 1853:プチャーニン、第三回対日使節として長崎に軍艦4隻を引き連れ来航
 
 1853:最初の日露和親条約、下田で締結される
 1867:徳川幕府滅亡
 1875:ロシアと千島、樺太交換条約締結
 
 1868:明治時代
 明治初頭から日本人がウラジオストクに居留
 
 1869:蝦夷地を北海道と改称
 1876:ウラジオストクに日本政府貿易事務所設置
 1891:ロシア皇太子ニコライ日本を訪問、大津で巡査に切りつけられる(大津事件)、シベリア鉄道建設開始
 
 1894:日清戦争
 1895:台湾植民地化/日清下関条約
 | 1876:江華条約 
												(日朝修好条規)調印。釜山開港 1879:日本が統監をおき「保護国化」〈乙巳五賊〉李完用ら
 1895:日本による閔妃暗殺閔妃殺害事件(乙未事変)
 1897:国号・大韓帝国
 国号を大韓帝国に改める
 | 1840:アヘン戦争はじまる 1851:太平天国の乱おこる
 1894:日清戦争はじまる
 1900:北京で義和団おこる
 | 19世紀前半:ロシア政府による積極的なシベリア進出 
 1805:第二回対日使節レザノフ、長崎に入港、通商を要求
 1807:フトボフら、国後や択捉の日本人襲う
 1809:間宮林蔵ら樺太探検
 1812:松前藩がロシア艦長ゴロブニンを国後島で逮捕
 1853:プチャーニン、第三回対日使節として長崎に軍艦4隻を引き連れ来航
 1854:最初の日露和親条約、下田で締結される
 1850〜1856:N.Nムラヴィヨフの命令により、ロシア人の遠征隊の、オホーツク海からの南下およびアムール川の左岸に集落形成
 1855:日本の幕府と日露通好条約を結ぶ
 1856:ウラジオストク湾(?)発見
 1857:E.Vプチャーチンを特使として清国に派遣。アムール川流域での交渉を再開することに合意
 1858:ディヤチェンコ大尉の大隊が要塞を築く
 探検家エロフェイ・ハバーロフに因んでハバーロフカと命名
 1860:北京条約
 沿海地方と名づけられたウスリー川から日本海までの地域もロシアの領土となる
 1860:ウラジオストク建設
 1872:ニコラエフスクからウラジオストクに海軍の鎮守府が移される
 1875:ロシアは日本と樺太・千島列島交換条約を結び、日本との国境を確立
 1891:ロシア皇太子ニコライ日本を訪問、大津で巡査に切りつけられる(大津事件)
 1891:シベリア鉄道の建設開始
 1893:ハバーロフカをハバロフスクと改名
 1896:旅順・大連を租借し、満州占領を開始
 | 
										
											| 20C 前半
 | 1904:日露戦争 1905:ソ連とポーツマス講和条約調印
 日本、朝鮮の外交権を奪い保護国とする
 1906:日本、朝鮮に統監府を設置
 1907:第三次日韓協約日本帝国の朝鮮植民統治(1910〜1945年)
 1907:ウラジオストクに日本領事館設置
 
 この頃には敦賀や長崎からロシアへの船の定期航路も
 
 1910:朝鮮を植民地化・併合(朝鮮と改称)
 日本で朝鮮独立宣言
 1918:日本軍がアメリカとシベリアに協同出兵(シベリア出兵)
 1918〜1922:日本を含む外国軍がウラジオストク占領
 1921:エフスク・ナ・アムーレで日本人虐殺(尼港事件)
 1923:関東大震災
 1925:日ソ基本条約に調印、日ソの国交回復
 1931:満州事変(柳条溝)
 上海事変
 1941:太平洋戦争
 東京空襲 沖縄戦 原爆投下
 日ソ中立条約調印
 1945:日ソ戦争、日本の降服
 連合軍日本占領(GHQ時代)
 1946:ソ連、千島・樺太の領有を宣言
 1947:日本国憲法施行
 
 
 
 | 1904:日露戦争時の局外中立を宣言 日露戦争開始 
 1905:日本、外交権を奪い保護国とする
 
 1906:日本、統監府を設置
 1907:ハーグ密使事件
 第三次日韓協約
 
 日本帝国の植民統治(1910〜1945年)
 
 1910:韓国併合
 
 1919:三・一独立運動
 
 皇民化政策
 (日本語常用、創氏改名)
 
 1944:徴兵制、女子挺身隊勤務令
 
 1945:朝鮮解放(八・一五民族光復)
 朝鮮人民共和国樹立
 
 1948:大韓民国
 朝鮮民主主義人民共和国
 | 1911:辛亥革命おこり、翌年、中華民国成立 
 1915:日本の対華21か条要求
 1919:5・4運動で排日さかんになる
 1921:中国共産党結成
 1931:満州事変おこる
 1937:盧溝橋事件、日中戦争始まる
 1945:日本降伏
 国共内戦
 1949:共産党による中国統一
 中華人民共和国成立
 | 1904:東志鉄道(満州−ハルビン−綏芬河・ポグラニチナヤ−ウスリースク−ウラジオストク)開通−辺境地域の経済発展を促進 
 1904〜05:日露戦争
 
 1904:日本が仁川、旅順を奇襲し、日露戦争開始
 1905:日本とポーツマス条約を結ぶ
 
 ストルイピンによる農業改革:土地をもたない農民がシベリア・極東へ移住すること積極的に優遇、奨励
 その結果、極東人口は、1910年現在で87万5000人に増加
 
 この頃には敦賀や長崎からロシアへの船の定期航路も
 
 1916:シベリア鉄道完成
 1917:ロシア革命
 ソビエト政権となる
 1918:日本軍がアメリカとシベリアに協同出兵(シベリア出兵)
 ソビエト社会主義共和国連邦成立
 1918〜1922:日本を含む外国軍がウラジオストク占領
 1921:エフスク・ナ・アムーレで日本人虐殺(尼港事件)
 1925:日ソ基本条約に調印、日ソの国交回復
 1928:第一次5ヵ年計画
 1941:ドイツ軍がソ連に侵攻
 日ソ中立条約調印、独ソ戦争勃発
 1945:日ソ戦争、日本の降服
 1946:ソ連、千島・樺太の領有を宣言
 | 
										
											| 20C 後半
 | 1952:平和条約・日米安保条約発効 日韓会談
 
 1953:竹島問題
 
 1956:日ソ共同宣言 日ソ国交回復
 国連加盟
 
 1960:日米安保条約改定
 
 1965:日韓条約成立 日韓基本条約調印
 
 1968:ナホトカ日本領事館開設
 
 1972:日中国交回復
 日ソ通商条約、貿易支払い協定、日ソ定期航路開設の交換公文書調印、ソ連通商代表部設置
 
 1978:日中平和友好条約調印
 
 1990:盧泰愚大統領訪日
 
 1991:ゴルバチョフ大統領が訪日
 
 1993:軍人軍属名簿韓国に返還
 
 1998:日韓パートナーシップ宣言
 | 1950〜1953:朝鮮戦争 1953:休戦協定
 1957:北朝鮮で千里馬運動が始まる
 1960:李承晩政権崩壊(学生らの革命)
 1965:日韓条約成立 日韓基本条約調印
 
 ベトナム戦争参戦
 1970:韓国でセマウル運動が始まる
 1971-2:対日民間補償開始(経済協力から)
 1972:朝鮮の平和統一を目指す南北共同声明を発表
 1973:金大中事件
 1974:文世光事件
 1979:朴大統領射殺
 1980:光州事件
 1981:全斗煥大統領
 
 1985:朝鮮で離散家族の南北相互訪問が実現
 
 1987:盧泰愚大統領、民主化宣言
 1988:ソウルオリンピック開催
 北朝鮮は不参加
 1990:盧泰愚大統領訪日
 
 1993:国連加盟 (韓国、北朝鮮、国連同時加入)
 北朝鮮の金日成総書記死去
 
 1998:北朝鮮の金正日、総書記就任
 
 1998:日韓パートナーシップ宣言
 
 2000:南北トップ会談(金大中大統領、金正日総書記)
 | 1964:中ソ対立深刻化 
 1966:文化大革命開始
 
 1969:ダマンスキー島で中ソの国境戦争
 
 1971:中華人民共和国の国連加盟
 
 1972:日本と国交回復
 
 1978:日中平和友好条約調印
 
 1988:中ソ国境交渉合意
 
 1989:天安門事件
 | 1956:日ソ共同宣言 日ソ国交回復 
 1958:日ソ通商条約、貿易支払い協定、日ソ定期航路開設の交換公文書調印、ソ連通商代表部設置
 
 1964:中ソ対立深刻化
 
 1969:ダマンスキー島で中ソの国境戦争
 
 1979:アフガニスタンに軍事介入
 
 1985:ゴルバチョフが書記長に就任
 
 1986:チェルノブイリ原発事故
 
 1986:ゴルバチョフ書記長、ウラジオストクで演説
 
 1988:中ソ国境交渉合意
 
 1991:ソ連の解体、CISの発足
 
 1992:ウラジオストク、一般旅行者に開放
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