環日本海地域の社会環境データベース
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北東アジア地域自治体連合環境分科委員会の紹介
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中国の人々の生活
食文化
 中国では、多種多様な動物や植物を材料にしてつくられた料理が驚くほどたくさんあります。名前のついた料理だけでも8,000種類以上といわれています。しかし、庶民の食べ物は、その地域で普段取れるものを、主食としています。中国の農業をみると、北部では小麦、コーリャン、大豆などを主に生産しているので、北部の北京や天津などでは小麦で作られたマントウ(饅頭)やチャオズ(水餃子)を主食とし、大豆で作る豆乳も良く飲まれています。
 中国の飲食は、各地の風土の中で数千年の歳月をかけて研かれてきた上海料理、四川料理、広東料理、北京料理などの系統に分かれています。上海料理は、長江下流の豊かな農産物、水産物、とりわけ東シナ海と長江、西湖などの新鮮な水産資源を生かした「江南」の味を作っています。北京料理は、黄河中下流域の水産物や北のアムール川からの魚やカニ、渤海一帯のナマコなどを用いた山東地方の料理を基礎に、宮廷料理、天津、江南、山西などの黄河流域以北各地の「北方味」を加えたものです。
住生活
 料理が風土によって多種多様であるのと同様に、中国における住居も多彩です。東北地方の半地下式民居、朝鮮族の寄棟住宅、華北の四合院、長江中下流地域の磚木(せんぼく)構造で両面流れの住居、華南の客家(はっか)土楼、嶺南の干欄(かんらん)式住居、チベット族のトーチカ式住居、新疆(しんちゃん)の土のアーチ型住居や雲南の「一顆印(いっかいん)」建築などがあります。
 中国の住居は下足のまま入り、韓国・日本は下足を脱ぎます。この点で中国はそれ以西、ヨーロッパにまで至る住居の文化に通じるものがあり、韓国・日本とは明確に異なります。
 都市生活上の最大の問題は住宅であり、狭い住宅に複数世代、世帯が同居するケースが稀ではありません。長い間、中国では都市住民の住宅は勤務する機関や企業が格安で提供してきましたが、90 年代に入ってから、機関・企業の経営悪化などを背景に、この計画経済下の住宅制度は見直しを迫られ、従業員に有償で払い下げたり、分譲住宅の販売を増やして不動産市場を育成する試みが進められています。1998 年からは住宅改革がスタートし、現有の社宅の販売と新設住宅の販売を含む持ち家制度が実施され、住宅の商品化が進みました。
韓国の人々の生活
食文化
 朝鮮の食文化は、肉食と唐辛子の多用をのぞくと日本と非常に良く似ています。例えば穀物を加工した味噌・しょうゆ類、酒、漬物、塩干類などの類似点が多々あります。朝食を例に取ると、米飯、みそ汁、漬物という基本は日本と共通です。これらの食品は東アジア全体に共通するともいえますが、朝鮮と日本は特に類似するようです。
 韓国では調味料や香辛料、香味野菜を一まとめにヤンニョム(薬念)と呼びます。ヤンニョムとは薬となるように念じて使うところからついた名前です。これは、にんにく、ねぎ、生姜、唐辛子、ごま、ごま油、胡椒、からし、食酢、砂糖、塩、しょうゆなどを主な材料としてこれらを混ぜ合わせたものです。このヤンニョムの組み合わせ方によって、さまざまな味が生まれるのです。これの代表的な食べ物がキムチです。キムチは韓国の漬物の総称で、その歴史は古いものの、唐辛子を使ったのは比較的新しく18世紀後半です。現在その種類は100を越えています。キムチは海の幸と山の幸を巧みに組み合わせた発酵食品で、野菜が貴重になる冬場の保存食品として韓国・北朝鮮の人々の食生活に欠かせないものです。
 食器を直接口につけずにさじで食べるのが基本なのは西洋と似るところです。しかし、建物の中で食事するときは、履物を脱いで床に座って食べるところは日本と共通します。
住生活
 韓国の伝統的家屋は、比較的低いダムジャン(塀)とウルタリ(垣根)で取り囲まれており、大門を通って家に入るとマダン(中庭)が広がっています。マダンに面して表のほうにはサランチェ(戸主など男たちの住棟)が建ち、奥まったところにはアンチェ(母屋)が建っています。サラン(居間)にはクン(大)サランとチャグン(小)サランがあります。アンチェはアンパン(居間)とコンノパン(居間の向かいの部屋)、それにこの二つの部屋の間に広い板の間デジュン(大庁)があります。この他、ピョルタン(別堂=別棟)とパンピッカン(今でいう厨房専用の棟)、庭にカン(納屋)、サダン(先祖を祀るところ)とヘンランチェ(下僕の住む玄関部屋の建物)があります。
 オンドルは韓国の伝統的な暖房設備で、その源流は高句麗にあるといわれています。伝統的なオンドルは室外の焚き口で火を焚き、熱煙を床下に通して、石と土で作った床を暖め、その熱を室内に伝えるものです。厨房のかまどはこの焚き口を兼ねて、家事の火力が暖房に利用されてきました。これは室内の温度分布がよく、また床の輻射熱を利用するため室温をそれほど高くしなくても良いのが長所です。伝統家屋のオンドル房は通常こじんまりとした部屋で、天井、周りの壁、床(油紙)すべてが紙で仕上げられています。ところが、現在は、基本的な方法は変わらないものの、一般的にコンクリートの床下にパイプを埋めて、そこに湯を通して暖めるオンドルが多く使われています。このように、韓国の住居の特徴であるオンドルは、現在の住居の中でもその伝統が守られています。
ロシア(沿海州・ハバロフスク州・サハリン州)の人々の生活
食文化
 極東地方の少数民族の食す料理に一番多く現れるのは魚料理です。魚は、生、冷凍、燻製の他、木の実やハーブと一緒に煮たり焼いたりと、いろいろな調理をして食べてられていますが、干物にする方法が一番多いといわれています。
 昔は肉や魚の料理が多かった極東地方の民族の食生活に、カーシャ(かゆ)やピロシキなどのロシアやヨーロッパの料理が徐々に加わってきています。魚を用いた料理としてはニシンの塩漬けや、サケの酢油漬けなどが挙げられます。
 12世紀以降、ロシア人の食べ物として知られたのは、ライ麦を原料に作られる黒パン、各種の穀物の粥、でんぷんを用いるゼリー状のキセーリなどです。 森林の多いロシアでは、各種の獣肉、鶏肉、魚も早くから食されました。パン生地を利用して、パン以外にりんご、さまざまなベリーから作られるジャムが入っているパイ、ブリン(厚手のクレープ)、オラジア(ホットケーキ風の厚いパンケーキ)、などが作られていました。パンは、食べ物のひとつだけでなく、人間の労働を表すシンボルでした。中国からの餃子がシベリアの料理となったペリメニ(水餃子)は、現在ではロシアの代表的な料理になっています。16世紀後半にカスピ海に注ぐボルガ川の下流がロシアの領土に組み入れられた際、チョウザメの卵であるキャビアもロシア料理に取り入れられました。さらに、ロシアの勢力圏に入ったシベリア、カフカス、中央アジアなどからさまざまな料理が伝えられました。例えば、カフカス地域からシャシリクという羊肉の串焼き料理が入りました。19世紀、中央アジアからお米が、最初にシベリアとロシアの南部、そして全地域に普及しました。 アムール川流域のロシア人は、ブダという満州の脱穀したキビを使うようになりました。
 飲み物は、麦芽を発酵させて作るクワス、蜜酒、ビール、ウォッカが一般的に知られるようになりました。
住生活
 極東がロシアに組み込まれる前までは、この地域の少数民族はその仕事によって定住生活か半定住生活をしていました。ウリチ人とニブフ人は一年中定住村の住居と作業場兼用の建物に住んでおり、ナナイ人、ネギダル人、オロク人、オロチ人、ウデゲ人は、冬は森の中の定住村に住み、夏は魚の採れる川岸の季節村に移りました。定住村も季節村も川岸に沿って細長く展開し、それぞれの住居は互いに離れており、そばには高床式の納屋がついていました。住居の広さは、20m2から100m2程度と様々で、建物の壁は丸太積みか、太い木の枝を格子状に組んで粘土を塗ってありました。窓は大きく、冬は魚の皮か紙を張り、夏はアシで編んだすだれをはめていました。
 現在の少数民族の居住区においては、少数民族の人もロシア風のペチカのついた丸太造りの家も建てるようになっており、近代的な設備も整っています。漁場近くの夏の季節村は現在も存在しており、草葺の軒をのばしてその下に、そり、網、生干し魚などを保管しています。男たちは魚を捕る合い間に、木製のスキー、そり、舟、箱、ゆりかごなどや、骨で出来た刀の鞘、ベルトのバックル、針などを作ります。女たちは魚を料理したり、毛皮や魚の皮をなめしたり、衣服や履物を縫ったりします。
 都市部の住宅はほとんどが中高層のアパートです。その狭さは日本以上で、現在、ロシア全体でみると都市の一人あたりの住宅面積は18.7m2に過ぎません。ソ連時代には住宅は公営で、順番待ちをして一旦手に入れれば、無料に等しい低賃料で一生住むことができ、居住権は配偶者や子供が相続できました。建物共有部分の管理と補修に個人の負担は必要ありませんでした。
 その後、住宅の私有化が進み、希望すればほとんどの場合、無償で居住中のアパートの部屋の所有者になることができるようになりました。光熱費は格安で、都市部では地域暖房も完備しています。お湯の供給の普及率は74%、都市ガスは69%となっています。浴室はほぼ八割の住宅に備わっています。
 ロシア人との会話では「ダーチャ」という言葉を良く聞きます。本来は官給別荘を意味しました。ところが、元来自然好きのロシア国民の欲求を満たすためと、食糧難解決へのねらいも込めて、戦後、郊外に小さな農耕地を割り当てて日曜園芸を許し、そこに小屋を建てることを認めたため、物不足に鍛えられているロシア市民が、知恵と労力を総動員して、何とか人が住めるような建物を建てるようになりました。これは私有物ですが、やはりダーチャと呼ばれています。ダーチャには豪華別荘と掘っ立て小屋の両極端なものの両方があることになります。
 都市の大半の世帯が、ダーチャを持っています。一般に小屋のような質素な家ですが、最近は豪華な建物も増えています。週末の道路と列車は、大きな荷物を積み、犬や猫も連れて一家総出でダーチャに向かう車や人で混み合います。市民たちは、夏の間毎週末をダーチャで過ごすのを楽しみにしています。庭の果樹や野菜を冬のために瓶詰めにするのも大切な仕事です。ジャガイモも植えています。このダーチャ通いのためにどうしても車がほしいということになって中古車が引く手あまたという状況です。
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